訪ねる人/ルポライター吉村和久
9年前、小松庵の池袋メトロポリタン店を訪ねて以来の小松庵応援団。TVドラマの脚本づくりを経て、現在は、家族問題を題材にしたルポやコラムを執筆中。
著書は「妻には、言えない…。」ほか |
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| - 小松庵のそばづくりを見に行く |
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小松庵が仕入れている玄そばは、9月に収穫できる夏そば「牡丹そば」です。その作り手の一人、北海道の新得町に住む赤松さんの畑へ向かいました。
小松庵で現在使っているそばは、すべて新得町産ですが、新得町で「牡丹そば」をつくっている生産者は少数派に入ります。全体の約7割は牡丹そばを品種改良したキタワセソバ。同行した霜降橋店の職人、田村さんがその理由を語ってくれました。
「実落ちが少なく、収穫量が多いからです。ただ、そばの香りと甘みは牡丹そばのほうが強いと僕は感じています。こだわっている生産者の方も、そう感じてあえて収穫量が少ないとされる牡丹そばをつくっていらっしゃるわけですが、赤松さんや羽場さんなんかがその代表ですね」
羽場さんは、そば作りの個人の部で、過去に農林水産大臣賞を受賞した経験がある牡丹そばの作り手です。新得町も団体の部で、平成13年度に農林水産大臣賞をとったばかり。赤松さんはその中心となるつくり手の一人です。
「ほら、赤松さんが、僕たちが到着するのをまってくれていますよ」
ガイド役を務めてくれた新得町JAの武田さんが指差します。白い花が咲く一面のそば畑に、牡丹そばづくりの名人がポツンと一人で立っていました。 |
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見渡す限りのそば畑。僕も小松庵の職人たちも、おもわず笑みがこぼれていまいます。しかし、作り手にとっては見慣れた風景。顔には、自然を相手にするつくり手の憂鬱が、にじみ出ていました。
「台風も怖いが、あれは天気予報を見てれば予想できる。怖いのは、雨の後にどこからともなく吹いてくる強い風だ」
そばは実が太っていけばいくほどにその重みで落ちやすくなります。
「1時間で実が全部落ちてしまったこともあったから」
一面のそば畑ですが、よく見ると畑を仕切るように防風林が。景色の一部となっていましたが、風と闘うための必要不可欠な木の防壁というのが、その実態でした。
田村さんと赤松さんがいつの間にか寄り添って話をしています。畑ごとに成長に差があるところを二人は気にしていました。
「こっちの畑は去年休ませたから、そばの育ち方に勢いがある」
二人は土の力について話をしていました。小松庵が、同じ北海道の幌加内産の玄そばから、ここ新得町産の玄そばにかえた理由も、実は土に隠されていたのです。 |
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国は、減反政策の一環として、米作から転作すると奨励金がもらえる制度を実施しています。この奨励金は、そばの収穫で手に入るお金よりも、実は多いのです。
もともと田んぼだったところをそばの転作地とする生産者が増えて当然です。北海道全体でそばの収穫量が増えた要因のひとつがこれだと田村さんは話してくれました。
「でもね、所詮、もとは田んぼだったところなんですよ。ちょっと深く掘れば粘土質の土が出てきて、これがそばの栽培の足を引っ張る。でも、新得町はちがいます。米作りに適していない水はけが良い畑地に覆われた土地なんですよ」
新得町の生産農家は、田んぼからの転作奨励金がもらえない分、いいそばをつくって、できるだけ高く売ることに注力せざるを得ません。幸い、昼と夜の温度差が激しい気候もあいまって、そばづくりには適していました。いいそばが生まれる条件がそろっていたことになります。
「育ちのいい年は、そばが背の高さぐらいまで伸びます。そばの実も、隅っこまでパンパンに中身が詰まった大粒に育つんですよ。そばの殻をむいた抜きの状態にしたときの緑色の強さも、鮮やかで、すごいもんですよ」
泊まった宿で翌日の朝食を終えた後、田村さんが嬉しそうに語ってくれました。しかし、田村さんの笑顔はすぐに消えます。
「でもね、少しずつですが、ここのところ毎年品質が落ちています。1年ごとに畑を休ませられればいいんですが、そうもいかないようですね。新得町産に頼りきっているいまの状態はお客さまにとってあまりいいことはない。いま、幌加内産から新得町産のそばに変えたときのように、全国のそばの名産地に出向いて、作り手や農協の方と話をしている最中です」
何にでも言えることでしょうが、「これでよし」と変化をやめたときが、進化がとまるときなのでしょう。どうやら、小松庵の「とことん」にも、終わりはないようです。 |
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