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| - 小松庵のそばづくりを見に行く |
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冷たく薄暗い夏が半ばに差し掛かっていた平成15年の7月27日。北海道の新千歳空港で小松庵の職人さんたちと待ち合わせをしました。少しでも旅費を節約しようと朝一番の便で先乗りしていた僕が、職人さんたちの到着を待ちます。空港の出口で待っていると、見慣れた顔の二人が、こちらに向かってやってきます。
「とことん、の風景」の第一景「そばの実を保管する」で話を聞いた霜降り橋店のそば職人、田村さんです。その後ろから、新宿店のそば職人、吉川さんがやってきます。彼とは「レトルト食品を使いはじめたことに幻滅した」という理由で彼が某有名ホテルのコックの職を捨てて小松庵に転職してきたときに会っています。あれから6年、彼がすでに一人前のそば職人になっていることを、今回の旅を通じて知ることになりました。そして、もう一人、はじめてお会いする若い女性が。挨拶を交わすと、二瓶さんは、そば職人を目指して新卒で小松庵に入社したと、目を輝かせながら自己紹介してくれました。 |
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新得町への旅は、小松庵が実施している毎年の恒例行事です。JAの方のガイドで乾燥・保管施設やそば畑を回ります。二日目は新得町の夏の行事、「そば祭り」でゲストのそば職人としてそば打ちを実演することになっています。
「今日のスケジュールはハードですよ。玄そばの保管場所、そば畑、ウチで使っているそば焼酎の工場と回りますから。その合間に温泉にも連れて行ってもらう予定です」
新千歳空港から駅へと下りていく階段を歩きながら、田村さんが話しかけます。温泉行きの予定が入っていると聞いて、うれしい反面、今回の旅の目的とは離れてしまうな、と複雑な気持ちになったのも事実。しかし、これが思い違いであることにあとから気づかされることになります。 |
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新得町までは電車で約2時間。その途中、田村さんが教えてくれました。
「新得町の駅にJAの武田さんという方が待ってくれているはずです。彼との出会いがなければ、新得町産の玄そばに変えてなかったかもしれません」
小松庵が「自家製粉・手打ち」の本格的なそば屋へと変わろうとしたとき、田村さんはうまい玄そばを求めて各地の農協や農家を飛び回りました。新得町のJAに出向いて話しを聞いたとき、対応してくれたのが武田さんだったということです。
「武田さんに話を聞いていくうちに、これは期待が持てるぞ、と。品種や収穫した玄そばの湿度管理などについて、いくつか質問をぶつけ、その答えを聞いていくと、そばづくりへの思い入れと手のかけようがすぐにわかるものなんですよ」
そばは土や太陽や雨が勝手につくってくれるものではなくて、人がつくって管理するもの。だから、農家の方たちの情熱と、彼らが作った玄そばを大切に扱い、きっちりと温度・湿度管理をして1年間の永い眠りにつかせる農協の方たちの情熱が、一番のポイントになると田村さんは語ってくれました。
「温泉ではゆっくりと湯を楽しんでください。私も入りますが、こちらはJAの武田さんとの大切な話があります。玄そばの買値を決める商談や、質の良い玄そばを小松庵に送ってもらうためには、裸で本音の語らいをするのが一番。これもお客さまに自信を持ってそばを出すための職人の大切な仕事です」 |
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新得駅の駅舎を出ると、新得町JAの武田さんが出迎えてくれていました。挨拶もそこそこに車に乗り込み、玄そばの乾燥保管施設を目指します。
「収穫した玄そばの水分量が35%ほどありますから、18%まで落とします」
車が目的地に到着すると、武田さんが大きな三角屋根の倉庫を指差して話し始めます。
「そのあと、麻袋に45キロずつ詰めて、あの倉庫で保管します。保管倉庫は、定低温常湿に保つために、セラミックを壁材に使っているんですよ」
玄そばの水分量を落とす施設も見せてもらいました。
「乾燥させるために熱風を使っているところが多いのが実情です。10時間ほどで終わりますからね。でも、そばがもっとも嫌うのが熱。この施設では、冷風を3日間送って理想的な水分量に落としています」
そばの栽培と保管に関する武田さんの熱い語りを聞きながら、僕たちは次の目的地、大雪山国立公園内に湧き出る「トムラウシ温泉」を目指します。その道中、キタキツネ2匹とエゾジカに会いました。
田村さんと武田さんは、「トムラウシ温泉」で予定通り裸の商談をしていました。こうした「とことん、の風景」の向こうに、一枚のそばがあるのだなと感慨にふけりつつ、温泉の湯船に肩までつかりながら、幸せをかみしめる一介のそば好きでありました。 |
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