訪ねる人/ルポライター吉村和久
9年前、小松庵の池袋メトロポリタン店を訪ねて以来の小松庵応援団。TVドラマの脚本づくりを経て、現在は、家族問題を題材にしたルポやコラムを執筆中。
著書は「妻には、言えない…。」ほか |
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| - 小松庵のそばづくりを見に行く |
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小松庵の三代目から4月のある日、お誘いを受けました。
「毎年、そばの白い花が咲くころに、うちの職人を新得町に行かせています。どうですか、職人たちと一緒に旅をしてみては」
北海道は仕事で毎年1,2回は必ず訪れていますが、新得町ははじめて。断る理由はありません。それに、ずっと抱えてきた「なぜ、小松庵は幌加内産の玄そばから新得町産の玄そばに変えたのか?」という疑問を解く鍵を見つけ出すことができるかもしれません。 |
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小松庵が「自家製粉・手打ち」のそば屋へと大きく変わったのは、平成7年です。それまで、小松庵では北海道・幌加内産の玄そばを製粉会社に指定し、製粉してもらい、買い付けていました。「レストラン街に入っているそば屋で、まず、一番を目指そう」と都心の駅ビルへ出店しはじめたころだと三代目がおっしゃるので、平成5年ごろでしょうか。店先に「本日使っております玄そばは、北海道の幌加内産でございます」と書き出されていたことを、はっきりと覚えています。
北海道の幌加内というと、北海道随一の生産量を誇るそば産地です。いまでは、信州産や茨城産などを押しのけ、都内をはじめとした各地の自家製粉そば屋で、もっとも使われている国内産玄そばの故郷です。しかし、個人的に、そのころ小松庵で食べたそばは、人に自信を持ってすすめられるものではありませんでした。打ちたてを冷たい水でしめた食感だけはある、という程度のもので、店のつくりや従業員の接客態度、つゆの風味などと比べるとかなり劣っていた印象が強く残っています。 |
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それが、平成7年に大きく変わります。大変貌と表現してもいいほどでした。せいろうに乗って出てくるそばが薄緑色を帯び、そばの香りをぷんぷんさせていたのです。口に含んでひと噛み、ふた噛みしたあと、口の中にたまったそばの甘い香りを鼻から出し入れしているうちに、気づいたらつゆもつけずに半分ほど一気に食べてしまっていました。
「いったいどういうルートでこの玄そばを見つけてきたのだろう」というのが、そのときの感想です。もう8年ほど前になる、あのときの疑問を解決する旅になるのかな、という期待を胸に、北海道行きの日を待ったのでありました。 |
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