小松庵 「とことん、」
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駒込本店・霜降橋店
 
駒込地図
<駒込本店>
〒170-0003
東京都豊島区駒込3-3-21
TEL03-3917-2589

<霜降橋店>
〒114-0024
東京都北区西ヶ原1-2-5
TEL03-3910-4851
 
【駒込の由来】
日本武尊が東国の蝦夷退治に出かけるときに、この地で多くの馬を見かけて「駒込みたり」と言ったのが名の起こりといわれている。
また別説として、樹間が込んでいた山林を呼んだと言われてもいる。
 
【見どころ】

六義園(文京区本駒込六丁目)
六義園は、5代将軍徳川綱吉の幼少の頃から綱吉の小姓として仕え、綱吉が将軍にと信頼厚い側用人として、幕府の政治を一手に取り仕切り、川越7万石城主から甲府15万石へと加増され、地位も大老格とり信任が厚かった柳沢吉保の屋敷に作られた日本庭園。
六義園と名は建物を六義館としたことによるが、六義の文字は、庭園の配置を和歌の六義(賦・比・興・風・雅。頌)に基づいて行ったことからといわれている。
明治時代に入って、三菱の創業者岩崎弥太郎氏の別邸となり、その後、昭和13年に岩崎久弥氏により東京市(都)に寄付きれ、昭和28年には国の特別名勝にも指定されている大変貴重な文化財です。
又、園内は豊富な緑と、広い池がいろいろな野鳥を呼び寄せ、ウグイス、メジ口などの留鳥や、マガモ、オシドリなどの渡り鳥も多く見られ訪れる人々の目を楽しませてくれます。
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染井霊園(豊島区駒込5-5-1)
桜の名所としても知られる染井霊園は、著名人の墓があることでも有名。
高村光雲・光太郎・智惠子、岡倉天心、水原秋桜子、二葉亭四迷、巌本善治、若松賎子などの墓がある。
染井吉野のルーツ染井と言えば「ソメイヨシノ」の発祥の地。江戸時代にここらあたりには植木職人が集落を作っており、つつじや桜を育てていたそうだ。
 染井吉野は江戸末期に、染井村(現在の東京都豊島区内)の植木屋が「吉野桜」として売り出したと伝えられる。
 染井吉野という名は、上野公園の桜を調査した藤野寄命が「日本園芸雑誌」に最初に発表した。明治33年のことでほぼ100年前になる。奈良の吉野山の桜と区別するために染井吉野と名付けられたという。
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富士神社(文京区本駒込5-7-2)
江戸期には、富士山信仰が盛んであった。
富士の浅間神社にお参りに行く「富士講」が数多くでき、模造の富士山も造られ 富士神社も「駒込のお富士さん」として地元の人に親しまれている。
伝承によれば、天正元年(1573)、本郷村の名主が夢に、木花咲爺姫を見て、浅間神社の神を勧請したという 。
お山開き6月30日、7月1日の小山開きの日には、広い境内に多くの露店がでるお祭りが開かれにぎわっている。
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東洋文庫(文京区本駒込2-28-21)
世界でも指折りの東洋関係の資料館。
大正6年(1917)、三菱の三代目社長、岩崎久弥が、アーネスト・モリソンの収集した東洋コレクションを買収したもの。
モリソンはロンドン・タイムズの特派員として中国で活躍し、のちに中華民国総統府の政治顧問になった。
彼が集めた英文の中国資料は完璧なものであった。
この資料をべ-スに、さらに多くのアジアの資料を集め、大正13年(1924)、東洋文庫として発足した。
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神明都電車庫跡公園(文京区本駒込4-35)
江戸の中心は江戸城である。江戸城は本城が東西六町、南北七町、西の丸は東西四町、南北八町。これに吹上をくわえると総面積がおよそ三十万坪。外郭をふくめると、周囲四里におよぶ。南は江戸湾、東は隅田川、そして西北をつらねる総構えは浅草橋からおこり本郷、小石川、牛込、市ヶ谷、四谷、赤坂、虎ノ門にいたり、内へ内へと螺旋状に入っており、こういう築城法はほかに類例がない。しかもこの線上にいわゆる三十六見附と呼ばれる城門がもうけられている。城橋は外堀を合わせると三十、三重櫓六、二重櫓十、単層櫓四、多門二十六という周到にして堅固きわまりない大城郭である。
市中の中央は日本橋である。ここを中心にして、外濠以内をのぞいた外を総称して江戸四里四方八百八町という。東は両国川、西は外濠、北は筋違橋、神川、南は新橋の内を下町と通称し、それ以外を場末と呼ぶ。さらにそのうち麻布、赤坂、青山、四谷、市ヶ谷、小石川、駒込、本郷のあたりを山の手という。
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日本刀装具美術館(文京区本駒込4-35、文京区本駒込6-6-10)
平成13年6月 運営の母体の親会社の倒産のため、休館
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